篠津の観音堂の入口に2体向き合って建立されている。地蔵尊の石仏に笠が付いているのは市内でここだけ。造立年代は江戸時代。市指定有形民俗文化財。
享保13年(1728)に井沢弥惣兵衛為永によって行われた笠原沼の開発に際し、開削された用水。久喜市で黒沼用水と分流した後、太田(現久喜市)、須賀、百間(以上宮代町)などへ灌漑している。当市では野牛・高岩の水田をうるおし、宮代町に至る。
市内の河川は県の1級河川に指定されている野通川・
元荒川・
星川・
隼人堀川・
庄兵衛堀川・
姫宮落川・備前堀川の7河川と準用河川が2河川ある。用水は、
見沼代用水やその支流の
黒沼用水・
笠原沼用水が市の中央部および東部を流れ、水田耕作の涵養元となっている。
日勝地区に属し、元禄改定の「国図郷帳」には、上・下野田の区別なく「野田」と記されている。野田村は江戸期の元禄~享保以前は埼玉郡百間領に属していた。
上野田と称されるようになったのは享保年間(1716~35)以降である。野田の名称の由来は、地形的なことから命名されたものと考えられる。
明治29年に実ケ谷村など8村と合併し日勝村となり、昭和29年に篠津村・大山村と合併して白岡町となる。
『風土記稿』等の資料によると、祭神は天穂日命(
あめほひのみこと)、別雷命(
わけいかずちのみこと)、倉稲魂命(
うかのみたまのみこと)で、創建、由来ともに不詳。『風土記稿』には「高祖明神社」と記されており、旧鷲宮町(現久喜市)の鷲宮神社より分社されたとみられる。現在の本殿は昭和53年焼失したものを、翌年に再建されたもの。
享保13年(1728)に
井沢弥惣兵衛為永によって栢間沼(現久喜市菖蒲町)の溜り水を除去するために開削された堀。現久喜市菖蒲町と白岡市の境で野通川・
見沼代用水をくぐり、柴山に入る。さらに荒井新田・下大崎を東流し、篠津で
星川をくぐり、寺塚で
庄兵衛堀川と合流し、
隼人堀川となり古利根川に落る。現在、河川行政上は隼人堀川と表示されている。
野牛にある新義真言宗智山派の寺院。『風土記稿』によれば、「戸ケ崎村(現久喜市菖蒲町) 吉祥院の末寺、大悲山与楽院と号す」とあり、第5世良栄が寛永18年(1641)に亡くなったという記録が残されているが、それ以前の由緒は不詳。本尊は 十一面観音で行基の作と伝えられる。当寺には指定文化財
新井白石の肖像画も伝わっている。