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災害(さいがい)

明治以降の主な災害には、明治23年、同43年のそれぞれ利根川決壊による水害、大正12年9月の関東大震災、昭和6年の西埼玉地震、同22年のカスリン台風の利根川決壊による水害などがある。
関東大震災では全壊24戸、半壊3戸、死傷者8人の被害が出た。西埼玉地震では全壊7戸、半壊8戸、死傷者1人の被害が出た。カスリン台風では浸水家屋734戸、浸水田畑525町歩(約521ヘクタール)の被害を被った。
その後、治水事業の進展により、大規模な水害は少なくなったが、都市化が進み、中小河川への雨水の流入速度が早まったため、大雨時の出水による道路や住宅などへの冠水・浸水が発生するようになってきている。

カスリン台風被害状況(上野田地内)

最勝寺(さいしょうじ)

大字彦兵衛にある曹洞宗の寺院。北葛飾郡西大輪村(現久喜市鷲宮地区)迦葉院の末寺で、山号は金光山。本尊は釈迦如来。彦兵衛の開発者である彦兵衛・新平の墓地がある。

埼玉東部消防組合消防局(さいたまとうぶしょうぼうくみあいしょうぼうきょく)

平成25年4月からスタートした、白岡市・加須市・久喜市・幸手市・宮代町及び杉戸町の4市2町で構成する広域消防組織。

実ケ谷(さながや)

日勝地区に属し、村名の由来は不明であるが、『風土記稿』の久伊豆神社の記載によれば、古くから佐那賀谷(武州騎西郡鬼窪郷佐那賀谷村)の名が見え、これが実ケ谷に転じたと考えらる。
また、サナガヤのサナは昔の製鉄にちなむ地名といわれている。なまって「サナゲエ」とも呼ばれる。
江戸時代の初期は岩槻藩領で、明治28年に岡泉村など8か村と合併し日勝村となり、昭和29年に篠津村・大山村と合併して白岡町となる。

実ケ谷久伊豆神社(さながやひさいずじんじゃ)

実ケ谷の鎮守で、正徳4年(1714)再建の棟札(むなふだ)の裏書に嘉吉元年(1441)の草創とあるが詳細は不詳。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。社殿は本殿、拝殿。境内神社に、稲荷社(いなりしゃ)、天神社、秋葉神社、八坂神社、疱瘡神社(ほうそうじんじゃ)がある。

皿沼(さらぬま)

皿沼は下大崎と荒井新田の間にあった底の浅い皿状の沼。明治時代に小久喜の山崎礼助により掘上げ田として開墾され、掘り上げられた所が田となり、掘り下げられた所が沼地として残っていた。
昭和52年からの県営圃場整備事業により、現在は水田に生まれ変わった。

皿沼遺跡(さらぬまいせき)

皿沼遺跡は昭和52年秋から53年春にかけて県営圃場整備事業に先駆けて、発掘調査が実施され、縄文時代中期(約4,500年前)から、後期(約3,000年前)にかけての住居跡9軒、古墳時代前期(約1,600年前)の住居跡2軒などが発掘された。
特に縄文時代後期の住居跡からは、東北地方の土器の模様の付けられた完全な形の注口土器(ちゅうこうどき)が出土しており、当時の人々の交流を知ることのできる好例である。

注口土器