忠恩寺文書

更新日:2023年01月31日

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黒と金の和柄で縁取られ上半分の部分に文章が書かれている太田資正棟札免許状の写真

太田資正棟札免許状

忠恩寺文書の詳細
種別 市・有・古文書
時代 江戸時代
員数 13点
法量
所在地 さいたま市浦和区高砂
指定年月日 昭和55年11月1日
所有者
(管理者)
忠恩寺
備考 埼玉県立文書館寄託

 忠恩寺は浄土宗、関東十八壇林(だんりん=浄土宗の学問所)の一つである鴻巣市勝願寺の末寺で、高岩山覚了院と号する。渋江兼重が天喜2年(1054)開基したと伝えられ、中世文書も数点遺されている。天文22年(1553)太田資正から与えられた門前の棟別銭の免許状もそのひとつである。朱印状の初見は慶安2年(1649)で、三代将軍家光が30石を寄進した旨記されている。その他綱吉、吉宗、家重、家治、家斉、家慶、家定、家茂、9将軍から朱印状が出され現存するが、昭和29年当寺が火災に遭ったため、状の一部が焼けている。
 この由緒書によると、渋江兼重開基の時は、大然法印が住持する天台宗の寺院であった。寛元2年(1244)鎌倉幕府に命じられ、怨敵退散(おんてきたいさん)の祈祷を行った関東台密(たいみつ)四十余院の一つに数えられている。明徳元年(1390)、第15世大宥法印が浄土宗に入門後、応永19年(1412)に浄土宗に改宗したとされる。太田資正の庇護を受け、文明10年(1478)にはお告げにより、太田家伝来の薬師尊像を忠恩寺に遷座(せんざ)、中堂を建立したことが記されている。

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