受付日 令和5年2月26日 「市長への手紙」の内容と回答 東日本大震災支援のお礼

更新日:2023年03月06日

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東日本大震災支援のお礼

昨年11月25日に高岩に引っ越してきました○○と申します。以前は蓮田市に住んでおりました。
生まれは大宮ですが平成元年に岩手に移住。震災の影響と家族の健康問題とが重なり、生まれ故郷の埼玉県に戻ってきました。
本業は整体師です。岩手県平泉町に住んでいた時、秋田県の玉川温泉で住み込みで施術していました。本を出版したことがきっかけで自宅で開業。一年後に東日本大震災が起き、震度7が平泉町を襲いました。
それだけならばなんとかなったのですが母の心臓が悪く手術しなければ生きていけない状態。そして次女は腎臓病の疑いがあると学校の検査で言われてしまいました。母と娘を病院に連れていくには盛岡か仙台しかありません。父子家庭で養うにはどうにもなりません。家族を守るために埼玉に引っ越す決心をし埼玉へ。家族の健康問題は無事解決。私自身、リラクゼーション店を経営する会社で上野、六本木、練馬の店長を務めることができましたがこのコロナで収入が激減。
整体師にこだわり生きることを断念。蓮田市井沼に新たな事業所か建設されそこからの求人をみつけ無事採用が決まり、今に至ります。
やっと生活が安定してきたのもつかの間。去年の7月、家の契約更新のため不動産屋へ。次の契約はないから2年以内に出ていったほしいとのこと。
このピンチが人生最後の転機かと思い、挑戦するすることを決め、中古住宅ではありますが高岩に家を購入することができました。私たち○○家家族はこの白岡に故郷をもつことができました。
もうすぐ3月11日。被災者の一人として市民の皆様に支援のお礼を伝えたいと思い、この場をお借りしました。
整体師が本業ですが別の顔はミュージシャン、ライターでもあります。音楽を通じた復興活動を始め、その活動が毎日新聞社と岩手日報社が取り上げてくださいました。
それを見てくださった岩手県立図書館から資料を送ってほしいと連絡があったのです。
この電話がきっかけでプロジェクトの活動が大きく変化しました。
亡くなられた皆様のお気持ちを曲にしCDにして差し上げてきたのですが全国の図書館に送れば被災者と支援者と心の共有ができると思ったのです。
私の本は全国の図書館に置いてあります。本を自費出版ではなく出版できたからこそ生まれる責任。その責任を果たさなくてはなりません。被災地を応援してくださる全国、世界の皆様のやさしさにお礼を伝えるため、音楽という枠を超え活動をしてきました。
先日、私の本を図書館に寄付させて頂き、図書館だよりに感謝の気持ちを一言添えてほしいとお願いしたのですが断られました。市長様は白岡市民の代表でもあります。この場をお借りし、お礼を伝えようと思った次第です。私ども被災者は皆様の支援があったからこそこのように生きていくことができました。心より感謝申し上げます。ありがとうございます。もし、私の活動が心の片隅に止まるものでありましたら私の名前で検索していただけたら有難いです。長文、失礼いたしました。
(50代)

回答

○○様におかれましては、ますます御清祥のこととお喜び申し上げます。
御意見をいただきました「東日本大震災支援のお礼」につきまして、次のとおり回答いたします。
東日本大震災で被災されたお話を拝読し、心中お察し申し上げます。大変ご苦労様でございました。
縁あって白岡市民になられたわけですから、これからは自然豊かで利便性のある白岡市をこよなく愛していただき、さらなる御活躍をいただけますよう心から祈念いたします。
お手紙への回答は以上のとおりです。
私は、市民参加のまちづくりはとても大切なことだと考えております。
これからも御意見などお気付きの点がございましたら、御遠慮なくお寄せいただきたいと存じます。

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