白岡キーワード百科「あ」

更新日:2023年01月31日

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新井堯爾(あらいぎょうじ)

明治19年(1886)~昭和41年(1966)
現在の大字高岩に生まれ、明治45年東京帝国大学を卒業後、鉄道院に入り副参事になる。さらに国際観光局長、運輸局長、鉄道局長を歴任。特に鉄道局国際観光局長時代に観光基盤づくりに中心的な役割を果たし、日本観光生みの親といわれた。昭和17年埼玉4区から衆議院議員に初当選し、通算2期在職した。初代名誉町民。享年80歳。

荒井新田(あらいしんでん)

大山地区の大字。荒井新田は、慶長12年(1607)に大崎村より分村し、開墾して菖蒲新田村と唱え、後に荒井新田となった。
開墾以来代官の所轄であったが、寛永10年(1633)に旗本の南条喜兵衛の采地(知行地)となり、世襲された。
明治22年に柴山村など3村と合併し大山村となり、昭和29年に日勝村・篠津村と合併して白岡町となる。

新井白石(あらいはくせき)

明暦3年(1657)~享保10年(1725)
江戸中期の政治家・学者で、後世に「正徳の治」といわれた政治改革を行った。白石は教育・学問と政治の一致に努める一方、「西洋事情」「折たく柴の記」「藩輸譜」など多くの著書を著した。
六代将軍家宣の時に野牛村500石と鎌倉郡下500石合わせて1000石の領主となり、野牛村は明治維新まで新井家の知行地であった。
白石は領主として「白石堀」の開削など農業基盤の整備などに多大な業績を残した。野牛の観福寺には市指定文化財である白石の肖像画が伝えられている。

観福寺蔵新井白石の絵

観福寺蔵新井白石画像

荒井新田稲荷神社(あらいしんでんいなりじんじゃ)

新編武蔵風土記稿(以下『風土記稿』という)に稲荷社は「村の鎮守なり、華蔵院持。末寺、愛宕、天神」とある。
祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で由緒は不詳。

ありの実館(ありのみかん)

昭和63年4月に白岡に開館した心身障害者地域デイケア施設。当市の特産「梨(なし)の実」に因んで「ありの実館」と命名した。平成9年「東ありの実館」も大字爪田ヶ谷に開館。
活動の内容は、自主生産品のみかんせっけん販売、ウエス製造販売、アルミ缶回収のほか企業の下請け作業などを行っています。また、ボランティアの協力を得て、生け花や茶道などの活動も取り入れている。そして市内のバザーや館のフェスティバル、古着市などの各種行事を年間を通じて活動している。

安楽寺(あんらくじ)

太田新井にある真言宗智山派の寺。山城国(現京都府)醍醐報恩院の末寺で、朝日山遍照院と号す。本尊は阿弥陀如来。薬師堂の薬師如来は弘法大師の作とも伝えられ、薬師仏の胎内の墨書から応仁2年(1468)に修理が行われたことがうかがわれる。
当寺には円空作の観音菩薩像も伝えられており、薬師如来とともに市指定有形文化財に指定されている。

薬師如来坐像の写真

薬師如来坐像