白岡キーワード百科「こ」

更新日:2023年01月31日

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公共下水道ポンプ場(こうきょうげすいどうポンプじょう)

公共下水道は昭和50年から工事を開始し、平成3年4月から一部供用を開始した。公共下水道は自然流下方式が原則であるが、地形などの都合上ポンプアップが必要になる。このため、県で管理する中川流域下水道幹線(終末処理場は三郷市内)に導くためのポンプ場として、平成6年に白岡第3中継ポンプ場を西4丁目に建設した。さらに、平成12年3月には千駄野地内に白岡第4中継ポンプ場が完成し、供用している。

公共施設相互利用(こうきょうしせつそうごりよう)

「田園都市づくり協議会」と「埼玉県東部中央都市連絡協議会」の構成市町の白岡市、久喜市、蓮田市、幸手市、宮代町、春日部市、杉戸町の住民が相互により質の高い公共サービスが受けられるよう、互いの公共施設の割増料金をなくして利用し合う制度。

公共施設予約サービス(こうきょうしせつよやくさーびす)

公共施設の利用予約をその施設の窓口に限定せずに、インターネットや各施設に設置してある利用者端末からもできるサービス。なお、インターネット予約には事前に団体登録が必要。このサービスの対象となる施設は、中央公民館、コミュニティセンター、総合運動公園、勤労者体育センター、市民テニスコート、千駄野運動広場、白岡公園。

高校(こうこう)

市内には昭和52年に開校した県立白岡高等学校がある。普通科共学で、平成29年時点の生徒数は約570人。文化祭を「ありの実祭」とよび、大変賑わう。

庚申塔(こうしんとう)

庚申塔は多くが江戸時代の庚申講中とよばれる信仰上の仲間によって造られた石塔。庚申講とは道教の教えで、人間の体内にいるという三尸(さんし)の虫が60日に一度(庚申(かのえさる)の日)その人の所業を天帝(てんてい)に報告に行くのを夜を徹して防いだのが行事の始まりという。
石塔には「庚申」「青面金剛(しょうめんこんごう)」「猿田彦大神(さるたひこだいじん)」などの文字や青面金剛の像が刻まれている。市内には約80基の庚申塔がある。岡泉の観音堂には「百庚申」と呼ばれる百体の石塔が観音堂を囲んで建立されている。

林を背景に石の銘庚申塔が写っている写真

天和2年銘庚申塔

興善寺(こうぜんじ)

白岡にある曹洞宗の寺院。慈覚大師円仁(じかくたいしえんにん)によって平安時代初期に天台宗の寺として開かれたと云う。文亀2年(1502)季雲永岳大和尚(きうんえいがくおしょう)により、現在の曹洞宗に改宗した。境内には、鎌倉時代から室町時代の特徴を持つ五輪塔や宝筺印塔(ほうきょういんとう)、板石塔婆などが残っている。 また、朱印状が寺宝として伝えられ、「御朱印状十一点」と鎌倉時代に造られた「達磨大師像(だるまたいしぞう)」は市指定文化財となっている。

興善寺が所有している達磨大師像の仏像の写真

達磨大師像

公民館フェスティバル(こうみんかんふぇすてぃばる)

公民館を中心に活動しているサークルの日頃の学習成果を発表する祭典。毎年5月の土曜日・日曜日に公民館利用者の会が開催。作品展示やステージ発表が行われる。

小久喜(こぐき)

日勝地区に属し、文献によると「クキ」は小高い所、薪(しば)などの燃料を採取する意味とされていることから、この地は小高い地で古くから燃料が取れる所であったとも考えられる。
『日勝村誌』には古くは「古久鬼」と称したが、一時期村落が荒廃し、寛永年間に再起、再度村落を形成したころから、現在の地名に改めたとある。
なお、周辺の人々は小久喜のことをなまって「クンキ」と呼んでいたこともある。
明治28年に実ケ谷村など8か村と合併し日勝村となり、昭和29年に篠津村・大山村と合併して白岡町となる。

小久喜ささら獅子舞(こぐきささらししまい)

その年の豊作を祝い、疫病よけとして小久喜久伊豆神社で奉納される獅子舞。この獅子舞は享保年間(1716~36)に諏訪神社を祀った際、現在のさいたま市深作から伝来したといわれている。
この獅子舞は「雨乞い」に御利益があるという。現在は1年おきの4月初旬の日曜日に「ささら獅子舞保存会」によって奉納される。市指定無形民俗文化財。

白い天幕の下で黒い衣装で踊る小久喜ささら獅子の様子を写した写真

小久喜久伊豆神社(こぐきひさいずじんじゃ)

小久喜の鎮守で祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)ほか2柱で、『風土記稿』に「村の鎮守なり」とあり、大正2年に稲荷神社2社と諏訪神社を合祀した。社殿は本殿、拝殿。小久喜ささら獅子舞は当社に伝わる祭礼で市の指定文化財。

国道122号(こくどう122ごう)

東京都豊島区から栃木県日光市に至る 延長162.1キロメートルの幹線国道。県内延長は55キロメートル。さいたま市の一部を除いて全線を県が管理している。蓮田市から市域の西部の荒井新田、下大崎を通り、久喜市菖蒲町へ通じる、市内の延長は1.5キロメートル。国道の沿線は特産の梨園や水田地帯が広がっている。
圏央道(首都圏中央連絡自動車道)白岡菖蒲インターチェンジが平成23年5月29日に開通した。

古代蓮(こだいはす)

東北自動車道の沿線の大字野牛字蓮河原(はすがわら)から、平成3、4年の土地改良工事で蓮の実が発見された。その後、 稲苗の間から針金のようなものが自生し、近所の農家の方が分けて栽培したうちの1つが繁殖に成功したもの。同9年の2月頃に現在の調整池に移植した。古代蓮は、7月上旬から花が咲き、最盛期には200を越える花を咲かせる。
葉っぱの先に2か所の棘(とげ)があり、また、花弁も12枚~13枚と少なく、葉の開く角度が約120度と専門家の鑑定で古代蓮であるとの確認を受けた。

ピンク色の古代蓮が満開に咲いている様子の写真

ごみゼロ・クリーン運動(ゴミゼロ・クリーンうんどう)

「ごみゼロの日・クリーン埼玉県民運動期間」(5月30日~6月30日)に呼応し、毎年5月下旬の日曜日に実施している地域住民総参加の清掃美化運動。実施主体は市と住民による環境衛生協議会。各地区内の道路、公園、集会所、水路、学校周辺等を重点的に清掃、環境美化に大きな成果をあげている。

コミュニティセンター

地域住民の連帯感を醸成し、心ふれあうコミュニティの促進と住民の福祉・文化の向上を目的に昭和59年に開設された住民活動拠点施設。舞台ホール、集会室、和室、調理実習室、音楽室、談話室、ボランティアビューローなどがあり、西児童館も併設。

エントランス前に広いスペースがあるコミュニティセンターの建物の写真

古文書(こもんじょ)

古文書とは過去の歴史を知ることのできる文書。江戸時代の旧家や名主の家には数多くの文書が伝えられている。市内に現存する1番古い古文書は、野牛の大久保家文書の「北条氏繁判物」天正5年(1577)の文書である。朱印状は白岡の興善寺と高岩の忠恩寺に伝えられいる。市指定文化財の古文書は、渋谷家文書(岡泉)、鬼久保家文書(小久喜)、田口家文書(柴山)、大久保家文書(野牛)などがある。いずれも市の歴史を解明する重要なものである。