白岡キーワード百科「せ」

更新日:2023年01月31日

ページID : 78

菁莪(せいが)

日勝地区の通称で、菁莪の名は菁莪小学校・菁莪中学校名に残っている。
菁莪の名のいわれは『四書五経』の「詩経」の序文の言葉「菁菁者莪、楽育材也」からで、優秀な人材を輩出する所との意味である。

石仏(せきぶつ)

神社の境内や路傍にはさまざまな石仏が建立されている。石仏の種類は多く、供養塔として、馬頭観世音供養塔、石橋供養塔、光明真言供養塔などがある。石仏の中でもお地蔵様は、多くの人に親しまれている。また、三叉路などには道標を兼ねた庚申塔が市内で84基ある。
高岩忠恩寺には十三仏や九品仏(くほんぶつ)の石仏があり、市指定有形民俗文化財になっている。

お墓を背景に忠恩寺九品仏が立ち並んでいる写真

忠恩寺九品仏

千駄野(せんだの)

日勝地区の地名。『風土記稿』によれば、千駄野村は箕輪郷に属し、岩槻城付の村であった。地名の由来は『日勝村誌』には「本村ハ古ヨリ岩槻城附ノ村ニシテ古来荒蕪地多ク領主ニ納ムル貢租ハ僅ニ茅千駄ニ過ギザリシヲ以テ千駄野ト 称セシトイウ」とあるが、木や茅を焚いて雨乞いした所との説もある。
江戸時代には岩槻藩領に属し、明治28年に実ケ谷村など8か村と合併し日勝村となり、昭和29年に篠津村・大山村と合併して白岡町となる。

千駄野八幡神社(せんだんのはちまんじんじゃ)

千駄野の字「迎」にあり、祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)。社殿は本殿、拝殿で、境内社として稲荷社がある。

千駄野稲荷神社(せんだのいなりじんじゃ)

千駄野の字「下手」にある神社で、祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。『風土記稿』等によれば、由緒は不詳、徳性寺持、末寺、山王、天神とある。社殿は本殿と拝殿。境内には千駄野自治会館がある。北西隅に「地蔵堂」(通称「子育地蔵」)がある。

全竜寺(ぜんりゅうじ)

下大崎にある曹洞宗の寺院。三箇ケ村(現久喜市菖蒲町)長龍寺の末寺で山号は大崎山。本尊は弥陀。『社寺堂庵明細帳』によれば、創立は承応元年(1652)で元応5年(1692)の再興とある。境内には不動堂ほか、地蔵・観音・庚申塔・山門・ 宝篋印塔・記念碑・供養塔など数基ある。