白岡キーワード百科「て」

更新日:2023年01月31日

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テクノパーク白岡

市(当時は町)の「ミニ工業団地整備基本計画」に基づき、工業団地協同組合が環境事業団の事業対象認可を得て、白岡地区集団設置建物建設事業として市西北部荒井新田の農業振興地域の一角を開発した工業団地。平成9年4月完成。

寺子屋(てらこや)

江戸時代の庶民の教育施設で寺院の門弟教育から庶民教育へと門戸を開放していった。市内最古の寺子屋史料は、延宝7年(1679)篠津青雲寺の筆子塔である。
寺子屋の所在は筆子達の建てた師匠の墓石(筆子塔)や石碑などで知ることができる。市内の17字中11か村で寺子屋の所在を確認でき、当時としては非常に高い開所率である。
また、私塾では篠津の大野塾(寺子屋と漢学塾)、千駄野の誉田塾及び白岡の神田塾(田宮流の剣法)があった。この他にも、小久喜の鬼久保氏、爪田谷の富沢氏、篠津の吉田氏が開業していた。

寺塚(てらつか)

篠津地区に属し、古くは太田庄、岩槻領に属す。元禄以降は旗本天野氏の所領となる。寺塚の地名は廃寺となった「東照寺」に由来すると考えられる。白岡駅に近くに位置する。
明治22年に篠津村など4か村と合併し篠津村となり、昭和29年に日勝村・大山村と合併して白岡町となる。

寺塚鷲神社(てらつかわしじんじゃ)

寺塚の鎮守で祭神は天穂日命(あめほひにみこと)で、『風土記稿』に「村の鎮守なり、本地仏釈迦秘して見ることを許さず、東照寺持」とある。東照寺は明治初期に廃寺になった。当社の参道から拝殿の間にはJR宇都宮線の線路が通っている。蒸気機関車の頃は煙の火の粉で社殿が火災に遭ったこともある。

天然記念物(てんねんきねんぶつ)

市の主な天然記念物は次のとおりである。

白岡八幡宮のカヤ

白岡八幡宮の境内にあり、樹齢は500~600年と推定される。樹高約15メートル、周囲約4.7メートル 、雌木で毎年多くの実をつけ、かつては食用油の原料となった。

岡泉のケヤキ

岡泉鷲神社の境内に2本あり、それぞれ樹齢約500年と推定される。2本とも樹高約30~ 35メートル、幹回り約5 ~6メートルあり、威容を誇っている。
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天王様(てんのうさま)

7月になると市内各地で疫病退散を願う夏祭りが行われる。中でも八雲神社(岡泉鷲神社・柴山諏訪八幡神社)、八坂神社(上野田・下野田)、須賀神社(篠津)、牛頭(ごず)天王社(白岡の新田地区)を祀る地域では、この夏祭りを「天王様」と呼んでいる。
篠津の天王様では見事な彫刻の施された5台の山車が地区内を巡行する。山車は岡泉の天王様にも飾られる。上野田・下野田では、勇壮な神輿が耕地内を練り 歩き、疫病の退散を願う。白岡の新田地区や柴山では、オシッサマ(お獅子様)の一行が天狗、獅子、太鼓などで耕地内を駆け巡る。

森の中に神輿を乗せた台車がたたずんでいる、岡泉の天王様の様子を写した写真

岡泉の天王様

30人ほどの人が、伝統的なお祭りに使う衣装を着て、田舎町を練り歩いている、白岡新田地区の天王様の様子を写した写真

白岡新田地区の天王様