白岡キーワード百科「は」

更新日:2023年01月31日

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白石堀(はくせきぼり)

野牛・高岩堀といわれる排水堀のうち、正徳3年(1713)に当時野牛村の領主であった新井白石がこの堀のうち野牛分を掘っており、「白石堀」「殿様堀」などと呼ばれている。

草が広がる中、斜面との間に掘がある写真

土地改良後の白石堀

土師器(はじき)

古墳時代(約1,700 年~1,300 年前)に使われていた薄手で素焼きの土器を土師器と呼ぶ。
縄文式や弥生式土器に比べ装飾的要素が少なく、器形のバラエティも増加する。入耕地遺跡(大字白岡)1号住居跡からは台付甕(かめ)3、壷(つぼ)2、器台(きだい)3、小壷2、碗1、坩(かん)1などが出土し、古墳時代前期の標準的な器種構成をうかがう好例となった。

白岡入耕地遺跡から出土した大きさが異なる9つの土師器が並んでいる写真

白岡入耕地遺跡出土

橋(はし)

白岡市には自然河川や多くの用水路・排水路が東南流している。これらと道路が交差する所には、橋が架設されている。ここでは、市内の主な橋について紹介する。

八幡橋(はちまんばし=やわたばし)

元荒川の西地区に位置し、対岸は蓮田市貝塚で、以前この地は「八幡(やわた)の渡し場」があった。明治43年に白岡駅が開業を始め、駅周辺の商家を中心に近隣の有志の援助を受け、大正12年に「八幡橋」を架けた。現在の永久橋は平成6年に架け換えられたものである。

曇り空の下、遠くに森や林などが見える、八幡橋の写真

義理橋(ぎりばし=ぎらはし)

隼人堀川に架かる橋で、岡泉地区にある。江戸時代に将軍が日光社参の御成道を通る時に、地元の人はさいたま市岩槻区境まで行き、将軍の一行を出迎え、今度はすぐに義理橋を通って岡泉の外れまで先に行き、一行を見送ったので「義理を果たす」というので名が付いたという。

咲き誇る、色とりどりの花が目の前に、義理橋が背景に写っている写真

鷹匠橋(たかじょうばし)

この名の橋は野牛地区と西地区にある。いずれも鷹匠(江戸時代の職名で、将軍の鷹を預かって訓養して、鷹狩の仕事に従事した役)の便を図るために造られたものである。

蓮田白岡環境センター(はすだしらおかかんきょうセンター)

蓮田市と白岡市のごみ及びし尿を処理している1部事務組合(蓮田白岡衛生組合の別称)。ごみ処理施設は平成6年に完成し、処理能力1日あたり180トン(1炉あたり16時間で60トン×3基)のごみ焼却施設と、5時間あたり36トンの粗大ごみ処理施設からなる。尿処理施設は既存の1日あたり30キロリットルとともに、1日あたり42キロリットルが平成14年3月から稼働。

青い空の下、蓮田白岡環境センターの建物が写っている写真

隼人堀川(はやとぼりかわ)

河川名の詳細は分からないが、開削者の名を取ったものと考えられている。現在の隼人堀川の寺塚(庄兵衛堀合流地点)以東を従来は隼人堀といっていた。寺塚以西の上流は栢間堀といい、栢間沼(現久喜市菖蒲町)の排水路である。柴山で野通川・見沼代用水をくぐり、東流して篠津で星川をくぐり、寺塚に至る。市内最大の排水河川で春日部市北部で大落古利根川に合流する。