白岡キーワード百科「ひ」

更新日:2023年01月31日

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東ありの実館(ひがしありのみかん)

昭和63年に「ありの実館」が開館し、第2番目の施設として平成9年に爪田ヶ谷地内に開設した心身障害者地域デイケア施設。市の東部に位置することから「東ありの実館」と命名された。
活動の内容は、自主生産品のみかんせっけん、施設内で採れた農作物、ウエスの製造販売のほか企業の下請け作業などの作業訓練やボランティアの協力も得て、生け花や茶道を取り入れた活動をしている。また、白岡高校の「ありの実祭」や小中学校のバザーに参加し、地域の行事にも積極的に参加している。
自然に囲まれた環境で「ありのまま祭」を毎年5月に開催し、さまざまな行事を年間を通じ活動している。

青い空の下、建物の入り口から撮影した、東ありの実館の建物の写真

彦兵衛(ひこべえ)

日勝地区に属し、かつては「彦兵衛新田」であった。『白岡町史』に「此の地は鷲の郷と唱え、上野田村の飛地にして一橋中納言の林なりしが、宝暦13年(1763)武州葛飾郡幸手領の民、彦兵衛、新平の二人これを新墾し、彦兵衛新田と称せり」とあることから、開墾者の名をとったものである。
明治28年に岡泉村など8か村と合併し日勝村となり、昭和29年に篠津村・大山村と合併して白岡町となる。

日勝村(ひかちむら)

日勝村の日勝という名は、明治28年日清戦争の戦勝を記念して、岡泉、実ケ谷、千駄野、小久喜、上野田、下野田、爪田ケ谷、太田新井、彦兵衛の9か村が合併して、「日本勝つ」を長く銘記するために名づけたものである。以後、昭和29年に白岡町が誕生するまで59年間存在した。日勝地区を通称「菁莪地区」ともいう。

彦兵衛浅間神社(ひこべえせんげんじんじゃ)

彦兵衛の鎮守で祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)ほか2柱で、『風土記稿』に「村の鎮守とす、玉宝院の持」とある。玉宝院は江戸時代の修験で、現存しない。浅間神社は築山になっており、祠は頂上付近に安置されている。境内には、江戸時代の領主であった米津氏の奉納した手洗石がある。

姫宮落川(ひめみやおとしがわ)

中川水系の川。通称姫宮堀と呼ばれている。流路延長10.1キロメートル。上流は久喜市下早見で、当市を経て、宮代町で 大落古利根川に入る。爪田ヶ谷の東京電力北東京変電所近くに堰を設けて、一部を用水として再使用している。堰付近一体は水深が深く、コイやフナの釣場とし て賑わう。

田んぼを背景に、目の前に舗装された、姫宮落川が写っている写真

備前堀川(ひぜんぼりかわ)

中川水系の川。加須市鴻茎(旧騎西町鴻茎)に端を発し、宮代町和土地先で大落古利根川に合流する。流路延長11.4キロメートル、流域面積24.1キロメートル。上流は騎西・久喜・旧菖蒲地区で、白岡市に入り下流は宮代を通り、見沼代用水、騎西領用水、笠原用水が灌漑する水田地帯の重要な排水路である。