白岡キーワード百科「み」

更新日:2023年01月31日

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見沼代用水(みぬまだいようすい)

行田市須賀地先の利根大堰から取水して、県の東部から南部にかけた水田1万7,000ヘクタールを灌漑する関東平野最大の農業用水。
水路延長は60キロメートルにも及ぶもので、享保12年(1727)10月から同13年2月までの5か月間で完成した。この用水は八代将軍吉宗の命で井沢弥惣兵衛為永が現在の旧大宮・旧浦和・川口にまたがる見沼溜井を干拓し、これにかわる用水として、利根川より取水したもの。用水は途中星川の流路を一部使い、当市柴山で元荒川と交差し、元荒川の川底をサイフォン形式の伏越でくぐりぬけ、また綾瀬川との交差では掛渡井で渡っている。

コンクリートで舗装され、片側に街路樹が植えられている。見沼代用水の写真

見沼の舟運(みぬまのしゅううん)

享保12年(1727)に開削された見沼代用水は、その後芝川とを結ぶ通船堀も完成し、江戸への航路として利用されるようになった。柴山には現在は伏越しかないが、開削時は掛渡井も併設され、行田市中条まで舟が上がっていった。宝暦10年(1760)に掛渡井が廃止されると舟運の終点は柴山になった。明治7年に見沼通船会社が設立され、さらに17の子会社が設けられ、柴山までの通船を行田・熊谷方面まで貨物を回漕した。これも昭和6年に鉄道やトラックなどの新しい交通機関が発展してくると廃止された。