鬼窪八幡宮鰐口

更新日:2023年01月31日

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上部に2つの取っ手がついており、中央には花の紋様、鰐口の形に添って円周状に文字がかかれている鬼窪八幡宮鰐口の写真

中世の白岡を今に伝える鬼窪八幡宮鰐口

鬼窪八幡宮鰐口の詳細
種別 市・有・歴史資料
時代 室町時代
員数 1口
法量 径29センチメートル
所在地 白岡市白岡
指定年月日 昭和53年11月1日
所有者
(管理者)
白岡八幡宮
備考 なし

 鰐口は神社や仏堂の正面軒先に吊り下げられた金属製の仏具の一種で、鋳銅や鋳鉄製のものが多い。鐘鼓(しょうこ)をふたつ合わせ、鈴を扁平にしたような形をしている。上部に上から吊るすための耳状の取手がふたつあり、下側半分の縁に沿って細い開口部がある。鼓面中央は撞座と呼ばれ、圏線によって内側から撞座区、内区、外区に区分される。
 白岡八幡宮に社宝として伝えられるが、「鬼窪八幡宮」は、小久喜の旧家である鬼久保家の氏神を指すともいう。伝来の経緯は不明ながら「武州寄西郡鬼窪八幡宮鰐口」「享徳五年丙子八月十五日聖秀尊」の銘文は、市の中世史を紐解くとき忘れることのできない文字資料である。
 なお、享徳5年は康生2(1456)年である。享徳3年(1454)年に、鎌倉公方足利成氏が関東管領上杉憲忠(憲実の子)を殺害したことに端を発する享徳の乱が発生し、関東は事実上の戦国時代に突入する。享徳5年の銘は本資料の奉納者を考えるうえで重要な意味をもつ可能性がある。

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