古代白岡の鉄作りの起源に迫る!(中妻遺跡第10地点)
平成26年4月21日から6月24日までの約2か月間、宅地造成に先だち、中妻(なかづま)遺跡(第10地点)の発掘調査を行いました。調査では奈良・平安時代(1,300~1,000年前)を中心に大きな発見がありました。調査によって得ることができた成果の一部を報告します。

精錬工房跡

発掘作業作業状況
発見された精錬工房跡
中妻遺跡は白岡市篠津地区に所在し、過去の調査では、縄文時代、古墳時代、奈良・平安時代、中世の人々が暮らした痕跡が見つかり、長期間に渡って繁栄した集落跡と考えられます。
今回の調査では、奈良・平安時代の住居跡11軒ともに、「精錬工房跡(せいれんこうぼうあと)」と呼ばれる鉄の製作所が1軒発見されました。工房の中央には、真っ赤に焼けた炉跡(ろあと)と鉄が流れ出た湯口(ゆぐち))の痕跡が発見されました。また、工房内からは、鉄製品や土器とともに、夥しい数の「鉄滓(てっさい)」や「羽口(はぐち)」が出土しました。鉄滓とは、鉄作りの際に炉から流れ出る鉄分を含んだ不純物です。羽口とは、鉄作りの際に炉に風を送り込む送風管です。

炉跡

カマド跡
鉄作りは、「製錬(せいれん)」「精錬(せいれん)」「鍛冶(かじ)」の3つ工程に大別することができます。今回の精錬工房跡で発見された炉は、鉄作りの第2段階にあたる精錬炉と考えられます。今まで白岡市内においても中妻遺跡のほか、タタラ山遺跡や入耕地(いりごうち)遺跡(ともに白岡地区)などで、鉄作りの最終段階にあたる鍛冶炉の痕跡は認められてはいました。しかし、今回の調査成果によって、奈良・平安時代の白岡で、より高度かつ本格的な鉄作りがなされていた可能性が一気に高まりました。
中妻遺跡ではどの程度の鉄作りがなされていたのか。鉄作りの初段階にあたる製鉄炉はどこに存在していたのか。今回発見した遺構や遺物を綿密に整理することによって解明の糸口を掴むことができると思われます。


遺物出土状況(中央は大型の鉄滓)

須恵器出土状況
製鉄と鬼窪氏の台頭
中妻遺跡は、武蔵七党(むさししちとう)の野与党(のよとう)の有力武士団で中世(鎌倉~安土・桃山時代)に白岡を拠点とした鬼窪氏の館跡推定地でもあります。今回の調査地点の南側で行なわれた過去の調査で、濠跡(ほりあと)や建物跡など館跡の存在をうかがわせる遺構が見つかっています。
鬼窪氏館跡候補地である中妻遺跡内に精錬工房跡が存在することは、非常に興味深いことと言えるでしょう。今回の調査成果は単に奈良・平安時代の製鉄遺構を発見したことにとどまらず、中世の鬼窪氏の出現を考えるうえでも貴重な資料を得たものと考えられます。中世の鬼窪氏の台頭の背景には、古代以来の製鉄技術と、鉄を始めとした物資流通を掌握した地方豪族の姿が見え隠れするのではないでしょうか。
鬼窪氏と製鉄遺跡を結び付ける直接的な証拠はまだ発見されていません。しかし、今回の発見を機に、白岡の歴史に新たな一ページを書き加える知見が得られることに期待が寄せられます。
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更新日:2023年01月31日