奈良・平安時代の集落跡を調査しました!(中妻遺跡第19地点)

更新日:2023年01月31日

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 平成27年11月30日から平成28年2月16日までの約2か月半、宅地造成工事に先だち、中妻(なかづま)遺跡(第19地点)の発掘調査を行いました。

調査区全景

大きな穴が沢山開いている調査区全景の写真
記録をする作業員や土を掘り発掘調査をする作業員の写真

 中妻遺跡は篠津地区に所在し、過去の調査から、縄文時代から近世に至るまでの長期間にわたって営まれた集落跡と考えられています。
 隣接する第10地点において、奈良・平安時代(1,300~1,000年前)の住居跡が11軒、鉄を作った鍛冶工房跡(かじこうぼうあと)が1軒見つかっていたことから、今回の調査地点においても住居跡等の集落の広がりを示す遺構や遺物の発見に期待が寄せられました。
 調査では、奈良・平安時代の住居跡が計6軒発見されました。その内、4軒の住居跡では、竃(かまど)を検出することができました。竃は天井部が削られたり、一部壊されてしまった箇所も多かったのですが、竃の袖(そで)の部分が残存している事例も認められました。竃の袖部の調査では、竃の内壁を構成する石材(砂岩)が見つかりました。砂岩はきれいに面取りされ並べられていました。
 竃の焚口(たきぐち)付近では、土師器(はじき)などの土器片が集中的に出土した箇所が認められました。竃にかけてあった甕(かめ)が倒れて割れたものと思われます。

住居跡

四角く窪んだ穴があき、周囲は溝が掘られている住居跡の写真
溝跡がある住所跡の写真

 調査では、縄文時代の遺構や遺物も見つかっています。縄文時代早期(10,000~6,000年前)の屋外炉跡を4基検出しました。屋外炉跡は、屋外で縄文時代人が煮炊きをしたり暖をとったりした場所です。
 屋外炉跡の底面は、硬く踏み締められ、火を使った痕跡として赤く変色した箇所が認められました。

竃周辺で出土した土師器

竃周辺で出土した、細かく砕けた土師器の写真
穴と溝跡の真ん中が赤く変色した屋外炉跡の底面の写真

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